リレーコラム「私とメサイア」

2014年10月25日のメサイア演奏会に向けて、「私とメサイア」というお題で団員が熱い想いを綴ります!

コチラのページは過去ログです。演奏会の詳細はメサイア特設ページをご覧下さい。


’14 10.24【最終回】ソプラノ団員

初めて生で聴いたのは中学生のとき、上野文化会館大ホールで芸大の演奏会でした。迫力があってドラマチックな演奏で圧倒されました。「ハレルヤ」の演奏で立ち上がる人がいて、なんとなく居心地の悪いような不思議な気持ちになったのを覚えています。

初めて歌ったのは高校生のとき。100人近い大人に混じって、ただ単純に「歌う」ことの爽快感を満喫していたように思います。

大学時代に再度聴く機会がありました。やはり上野文化会館大ホールでしたが、今度はザ・シックスティーン。衝撃的でした。今でこそ珍しくはなくなりましたが、20名程の合唱団と古楽器のオーケストラによる演奏は、軽く速いテンポで溌剌としてシャープで、ロマンチックではありませんが別の意味でドラマチック。唖然と口を開けっ放しで聴いて、あっという間に終わり、立ち上がれなかった記憶があります。

50才になり再度歌うメサイアは、苦しくもあり、楽しみです。

’14 10.24【第51回】テノール団員

僕がメサイアと出会ったのは、中学3年の時。当時野球部に所属していた僕が、特設部員として合唱部に入部してしばらく経った頃、部で参加した合唱イベントの全体合唱で「ハレルヤ」を歌ったのが最初で最後でした。

メサイアもヘンデルも全く知らない、音楽に無縁だった僕(当時バリトン)は、ただひたすらに、“KING OF KI—–NG!!!”の所に命を懸けていたような気がします。あれから7年、まさかオーケストラ付きで全曲を歌えるなんて。

今度は“KING OF KI—–NG!!!”以外もちゃんと歌えるように頑張りたいと思います。

’14 10.23【第50回】ベース団員

かつて高校時代に、学生オケで演奏した「ハレルヤ」。その時は、まさかこの曲を歌える日が来るなんて思っていませんでした。今回、合唱で初めて歌います。

最初、その楽譜の厚さに圧倒!そして、ハレルヤ以外の曲をほとんど聞いたことがない…しかし、ひとつひとつの曲に向き合えば向き合うほど、ヘンデルの世界に引き込まれていきました。

このオラトリオが初演されたのはおよそ270年前。それほど前に作られた曲が、色褪せることなく今に残され、今回時を経て演奏することができるのは、本当にすごいことなんだなあと感じています。「メサイア」、精一杯歌います。

’14 10.23【第49回】ソプラノ団員

私が初めて触れたメサイアは、中学の時の『ハレルヤ』。英語の歌詞になぜか日本語も混じっていて『ぜ~んのーのっ♪かみたった~えたーもーお~(全能の神、讃えたもう)』だったような記憶がうっすらとあります。

次の出会いは通学路のとあるお宅のお姉さんが歌っていた『Rejoice』。言葉まではほとんど聞き取れませんでしたが、メロディーが楽しくて、真似して口ずさんでいました。それがメサイアだと気づいたのはそれから約20年後ですが。

今ここでカロスの仲間と一緒にメサイアを歌えることを心から感謝しております。

’14 10.23【第48回】ソプラノ団員

今年2月、元気な男の子を出産しました。臨月近くまでメサイアの練習に参加し、出産後もがんばれば練習に行けるだろうと考えていましたが、現実はそう甘くはありませんでした。

人ひとり育てるということは生半可な覚悟ではできないのですね。さぞかし聖母マリア様も大変だったことでしょう。

それにしても、イエス・キリストも赤ちゃんだったときがあると思うと面白いですね。神の子とは言え、赤ちゃんはひとりでは生きていけないのですから。

さて、平々凡々に産まれたうちの息子も8ヶ月になりました。出産後初めてステージで歌うのは、念願叶ってこの「メサイア」となりました。協力してくれた家族とカロスのメンバー、そして栗山先生に心から感謝を、世の中のお母さんたちに愛をこめて歌います。

’14 10.21【第47回】ソプラノ団員

「あのメリスマね。」
「そうそう、まだ覚えられなくて。」
この夏の帰省中の車内にて。兄妹の会話中…。
「あれだろ、♪For unto us a child is born,~」と、父(ベース)。
「そうだね、♪unto us a son is given,」と、母(アルト)。
なんと、しばらく歌っているではありませんか。そして実に楽しそう!兄妹はしばらく唖然。

どうやら、その昔、両親が大学生だった頃に、メサイアから何曲か抜粋し演奏したとのこと。その指揮の先生が仲人となり、一年後に両親は結婚。そのまた一年後には兄が生まれ、そのまた六年後には妹が生まれました。そして2014年、我が家の血は再びメサイアに辿り着いた、という訳です。

そんな縁に感謝して、喜びに満ちて歌えますように…。猛勉強、目からウロコの日々です!

’14 10.21【第46回】アルト団員

メサイアに初めて出会ったのは、中学1年生頃、少年少女合唱祭の合同合唱でハレルヤ(女声3部合唱)を歌った時でした。それから10年以上経ち仲間の団体が全曲歌うのを聴き、1曲だけではわからなかった魅力を感じました。

でも何故か自分が歌うことは想像できずにいたので、カロスで演奏すると決まった時は、驚き、そして少し戸惑いました。

約1年4か月の練習を経た今は、メサイアに出会えた喜び、物語や音楽、そこに寄り添う感情が少しづつひとつになり、自分の一部となりつつあるのを感じます。

本番では、すべての人が各々の祈りに気付けるような演奏ができればと思います。

’14 10.21【第45回】ベース団員

「おい、メサイヤ」
「なんだい?」
「君は、ヘンデル作曲のオラトリオだよね。」
「そう。オペラではなくて、オラトリオ。」
「シアターピースや、合唱劇をいくつも演奏してきたボクらにとって、身体表現を伴うことなく、純粋音楽劇として取り組むことは、どんな意味があるんだろうか。」
「まあ、せいぜい苦しむといい。だけど、体を動かしたり、セリフをしゃべったりしてきたことはけっこう活かせるんじゃないかな?」
「ヘンデルの作曲技法にも大いに助けられるね。」
「そう。オペラやオラトリオを数多く作曲した彼の音楽を隅から隅まで十分理解して、まさに演じることを目指してほしいね。」
「音程とリズムさえなければ結構いけてる、なんて言い方もされるけど、今回はそうはいかない。それに、英語という言葉の壁や、メリスマという技術的課題もある。」
「だけど、作曲された当時から多くのアマチュア合唱団も取り上げてくれているんだ。」「そうだね。お客さんが目をつぶって聴いていたら、まるでシアターピースが演じられてているような劇的な表現に感じてもらえたらいいな。」
「期待してるぜ。」
「よし。がんばろう!」

’14 10.21【第44回】テノール団員

メサイアはメリスマなども大変ですが、英語の発音を伝わるように合わせることがさらに大変でした。

いわゆる普通の英会話では、多少発音があいまいであっても文脈から意味を推測することで会話が成立していきます。ところが英語の合唱曲の場合、個々人の発音が統一できないと、何を言っているか正しく聞きとることができなくなってしまう、ということが数多くあります。

聴いている人達が歌詞カードなんか見なくても何を歌っているか理解できる、正しい意味が伝わってくるような演奏ができればと思います。それでも英語が苦手だと言う方は、字幕をご活用下さい。

’14 10.18【第43回】ベース団員

メサイアを聴いたり、歌ったりしていると、四方八方で音が踊っているように感じられる時があります。そうして近くから、遠くから笑いかけてくれているかのような音達と一緒にいるうち、いつの間にか、世の中の良いこと全部を信じられる気になってきます。

悲しい音、不穏な音の聴こえてきやすいご時世ですから、カロスの演奏会にいらしてくださるお客様には、良い音をお届けしたいです。勢い余って躍りかかってしまったらご愛嬌。

’14 10.18【第42回】アルト団員

二十数年前、当時アカペラを中心にやっていた宇都宮ジンガメルアカデミー(現在の宇都宮室内合唱団ジンガメル)はメサイアに挑みました。

いつか合唱もソロもできるようになれ、と栗山先生に言われ、数年がかりで全曲演奏にたどりつきました。はるかな道のりでしたが、私たちの前に
一本の道が見えたようでわくわくしました。

それから、幾多の音楽経験をし、メサイアの教会での演奏会も行いました。歌う度に理想に至らないことを反省しつつも、メサイアの魅力は増していきます。

どんなに辛くてもやがて希望のラッパが鳴り、光あふれる世界が待っている。この喜びをカロスと共有することでまた新しい道が見えるのでは、と期待せずにはいられません。

’14 10.18【第41回】アルト団員

メサイアは救世主についての預言やキリストの生涯を語る宗教的作品であることは間違いない。神を正しく理解し信じている人がその音楽を演奏する時の説得力といったら他に比べられないのです。

いままでにも様々な宗教的作品を歌ってきましたがそのたびに難しい。そんな私ですが、少しでも理解しようともがきます。お話しを繰り返し読んでみたり、場面を想像したり、現代に置き換えてみたり。

美しい音楽、聴き馴染んだハレルヤ、といった側面だけでなく、ひとつの物語として届けたい。

ところで私にとっての「メサイア」は言うまでもなく、栗山文昭、その人です。

’14 10.15【第40回】ベース団員

はじめて出会ったのはやっぱりハレルヤ
なんだかいい響きです、ハレルヤ
口に出したくなるぞ、ハレルヤ
声に出して読みたい……ヘブライ語?、ハレルヤ
発音には少々コツがあるらしい、ハレルヤ
えっ、じゃあなんて発音するの、ハレルヤ
詳しくは演奏で!、ハ○○ヤ!

’14 10.15【第39回】アルト団員

はじめてのメサイア。練習は受難の日々でもありますが、それもひっくるめてとにかくメサイアはたのしい!

何かと迷う弱冠二十歳にとってメサイアは、頼れる存在です。メサイアの言葉や音楽は感情に満ちています(キラキラ)。自信たっぷりのその輝きは、歌うことによってわたくしの血肉にしみこんでいきます(じわじわ)。

メサイアにつまっているのは、自分を生き生きとした人間でいさせてくれるような、不思議な輝きです。(感情って何かと二の次にされがち。大事なものなのに。)

本番は、ホールに集う皆様と、ともに受難の日々を乗り越えたカロスの皆様と、ハラの底から一緒になる喜びを感じながら歌えたら、思います。

’14 10.15【第38回】アルト団員

メサイア。栗友会で歌うようになって何度か名前は聞いたような…今度のカロスの演奏会で演奏することになったんだ、あ、英語なのか、、英語の曲は苦手だなー…。

といった感じでメサイアと出会った私。分厚く重い楽譜を持ってお近づき中、もっと仲良くなれるかな、なりたいな。まだまだ未知の世界で、知っていくことがたくさんあります。

“未知”にワクワクしつつ、苦手な英語にドキドキしつつ、日々精進。本番が終わった後、また1つ新しい世界が開けることを夢みて♪

’14 10.12【第37回】ベース団員

メサイアを初めて全曲歌ったのは、約10年程前です。

当時も言葉の意味や音楽的なことを勉強したはずですが、今、改めて見直してみると、当時は全く分かっていないことが多くあったことに気付かされました。

新たな気持ちで歌うメサイア。新たな発見を楽しみつつ、10年前より、もっともっと歌えるように、精進していきます。

’14 10.12【第36回】ベース団員

僕は某大学で合唱団に入り、栗山先生に出会い合唱の魅力に触れました。入って間もなく観に行ったのがカロスの「アシタノキョウカ」。初めて観た時は何も分からず「すごい劇団だな」と思ったのを覚えています。

その演目を大学合唱団でも行い、いつの間にか四年生に。気が付いたらカロスに入団して演奏側に回ることになりました。「すごい劇団」は「すごい合唱団」でした。

歌えば歌うほどメサイアの深さに気付く日々。少しでも理解しようともがくのはとても有意義で大切な時間です。

…メサイアに触れて間もないので、少し反則かもですが「私とカロス」になってしまいました。メサイアの思い出はこれから出来ると思います。記憶に残る演奏にしたいです。

’14 10.12【第35回】アルト団員

メサイアの練習を始めたとき、ああ、歌うのって楽しいんだ、私が歌っているのは歌が好きだからだ、なんてそんなあたりまえのことをハッと思い出しました。

生き生きと鮮やかに描かれた音楽の力と思います。でもああ楽しい、気持ちいいでは済まないのがカロスだし、そこに私たちの目指すメサイアの入口があるのかなとも思います。
どこまで表現できるかは自分との戦い。わくわくします。頑張ります!

’14 10.12【第34回】ベース団員

メサイアは「歌で“見る”キリスト教入門」という趣きで、歌っていて楽しい。

各曲が実に絵画的で、「旧約のこのくだりは新約のここと関係があってね…」と丁寧
に解き聞かせる、ルネサンス期に描かれた宗教画を見ているようで親しみやすい。

という事は、演奏するこちらは、それが伝わるように演奏しなければならない訳だ。これは大変。でもその大変さが楽しいね。

’14 10.10【第33回】ソプラノ団員

メサイアの演奏で印象に残っているのは、東京文化会館で聴いたシックスティーンの公演。生き生きと躍動感あふれる音楽に、ずっと集中して聴いていたことを覚えています。

それからしばらくしてジンガメルが演奏すると聞き、一緒に歌わせてもらいました。覚えているのは…栗山先生の「私たちはみんな羊が好き(All we like sheepのこ
と)」のギャグ。

そして、カロス。いろいろな人達に支えられて歌えることを感謝して。

’14 10.10【第32回】テノール団員

すごい時代になったもので、メサイアといえばヘンデルの手稿譜がすべてインターネットで見られます。それを見ていると何百年もの昔、遠い異国の地 で書かれた音楽が今こうして自分たちの目の前にあることを実感…ロマンですねえ。

さて「メサイアで歌ったことのあるものは『ハレルヤ』だけ…」という人が多い中、私はその「ハレルヤ」さえも歌ったことがないのでした。そういえ ば中学校で使っていた分厚い曲集に入っていたっけ…もう十年以上前の記憶です。

そんな私の前に「メサイア」は現れました。歌ったことも全てを聞いたこともなく、漠然と存在だけを知っていた「メサイア」です。

はじめは長い・難しい・楽譜が重い(780グラム!)の三拍子揃った大作を目前に呆然。しかし、今はすっかり壮大な物語と音楽の虜になってしまい ました。まだまだ苦労は多いものの、この作品に出会えたことが嬉しくて楽しい今日この頃です。

’14 10.10【第31回】ソプラノ団員

今までメサイアとの関わりや思い入れは私には殆どなかった。ハレルヤコーラスには子供の頃から親しんでいたものの、全曲聴いた経験は一度だけ(宇都宮の教会でのジンガメルの演奏)。その時たしか美しいなぁ、すごいなぁと思ったはずだけれど、それも微かな記憶。

今回カロスでメサイアをやると聞いて、初めはとても意外だった。メリスマとか英語とか自分には苦手なことばかりだし、練習始めたころはもう悪戦苦闘。ですが、内容や構成や発音を一通り勉強し少し理解してやっと、私達がやる意味が見えてきました。

このドラマチックな構成、内容、感情が伝わるような演奏がしたい。シアターピース作品に取り組むときの感性を思い出しながら、稽古に取り組んでいます。

’14 10.10【第30回】ソプラノ団員

私がメサイヤと出会ったのは、大学を卒業して一般の合唱団に入ってからです。ハレルヤコーラスは歌ったことがある、という人も多いのですが、私はその機会はなかったので、「アンタゴリーラ~」が初めて歌った曲です。

当時(今も)合唱不器用人が多かったその団は、1年目に1部を、2年目に2部を、3年目で全曲演奏、という具合に3年計画でやっと完結し、その後小さな教会でも演奏しました。

メサイヤは、救世主キリストの生涯がとてもわかりやすくえがかれていると思います。不敬虔なクリスチャンの私でも共感しやすく、歌っていてとても楽しい、幸せな気持ちになります。自分の名前がでてくるソプラノのアリアも大好きです。でも、英語が難しい…。
栗山先生のメサイヤがどうしても歌いたいと思い、カロスメサイヤに参加させていただき、新しい発見の毎日です。私にとっては若い頃に歌ったメサイヤとは、全く違うメサイヤです。それがとても楽しいです。

’14 10.10【第29回】アルト団員

今回私は初めてメサイアを歌います。正直、私はメサイアを知りませんでした。あの有名なハレルヤがメサイアの中の一曲だということももちろん知りませんでした。

初めは全く歌えず、なんて難しいんだろうと思っていましたが練習を重ねるうちにメサイアの世界観が少しずつですが分かってきて今では本当に楽しく歌うことができるようになりました。

でもまだまだ課題はたくさんあります。一生懸命練習し、本番では最高の演奏をしたいと思います。

’14 10.5【第28回】アルト団員

7、8年くらい前かな?カロスでどこかで歌ったときに持っていった曲の中に「ハレルヤ」が入っていたのが、私とメサイアとの最初の出会いでした。

ハレルヤの存在は知っていましたが、メサイアの中の1曲だったことも、当時合唱を始めておそらく10年以上経っていたにも関わらず、そのとき初めて知りました。それくらい私の中では遠い存在だったメサイア全曲に、いま挑んでいます。

難しくて、なかなか頭や体に入らなくて、扱いにくい子だけど、それでも歌っていると、面白くて、楽しくて、ワクワクする。歌うたびに、難題が、楽しさが、ころころと表情を変えて容赦なく心の中に襲ってくる。それが魅力に変わっていく。とっつきにくかった子が、だんだん近い存在になる。

舞台に乗る頃には、仲良しこよしになれているといいな!

’14 10.5【第27回】ソプラノ団員

初めて歌ったのは島根大学1年の冬。私は教育学部の器楽専攻で、音楽専攻の学生は歳末慈善演奏会と題して、毎年メサイアを演奏していました。管弦楽は大学生と教授陣が、ソリストは毎年地元出身の活躍されている声楽家をお呼びして行っていました。明るく晴れやかで、立体的な音の美しさに富んだこの曲を毎年歌うのは私の楽しみとなりました。

どの曲を聴いても一緒に歌った友人やソリスト方々を思い出し、とても懐かしい気持ちになります。

大学卒業から何十年も経ち、カロスでこの曲を演奏できる喜びは何物にも代えがたいものです。しかし、当時はソプラノで今はアルト・・・という事は音取りからやり直し!初心に戻り真正面から取り組みました。

私の人生の中でも思い出深い曲のひとつ「メサイア」。様々な思いを胸に、曲の持つ力全てを表現できますように。

’14 10.5【第26回】アルト団員

恥ずかしながら、私はこの合唱団で歌うことになるまで、「メサイア」という存在を知りませんでした。唯一知っているハレルヤも、テレビのBGMで流れたのものを聴いたくらいです。そんな私が歌って良いものなのかと戸惑いながら、練習に励んでいました。

最近では、歌っていくうちに、どんどんメサイアの魅力に引き込まれています。これほど長く、曲数も多いですが、歌っていて全く飽きる気配がありません。一曲一曲それぞれ違った表情があり、様々な場面が脳裏に浮かび上がってきます。

せっかくこのような大曲を歌わせていただくので、よく勉強し、自分の100%で本番を迎えられるよう頑張ります。

’14 10.5【第25回】アルト団員

今回「メサイア」を初めて歌うことになり、久しぶりに聖書を手に取りました。

生きることの困難の中に希望を見出すことばの数々にあらためてふれ、ディケンズの構成にあらためて感心し、またヘンデルが50代なかばに生み出した音楽を知れば知るほど、作品のすごさに呆然とする自分がいます。

合唱団の一人として希望のことばを心から歌えるよう、本番の日まで精進したいと思います。

「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。」(「メサイア」序文より

’14 9.27【第24回】ベース団員

メサイアに関して、卒業式で「ハレルヤ」だけは歌った、なんて話がよくありますが、私にはそのようなこともなく、今回が本当に初めてメサイアに触れる機会となります。そのため、練習では四苦八苦もありますが、歌う度に新たな発見があったり、ちょっとしたところでも感動したりと、心から楽しく取り組んでいます。

また、この演奏会は、私がコーロ・カロスに入団してから迎える、初めての演奏会でもあります。カロス団員として初めての演奏会で、初めてのメサイアを、栗山先生、大変素晴らしいオケ・ソリストの皆様方、そして共に歌う素敵な仲間たちと演奏できる喜びを噛み締めながら、最高のステージをお送りできるように尽力して参ります。

’14 9.27【第23回】テノール団員

私がメサイアで知っていたのは、ハレルヤコーラスだけでした。大学時代から本格的に合唱に触れる前は、ほとんどクラシックを聴くことがなく、大抵それの収集源は、音楽の授業か、テレビから流れてくるものでした。

カロスでメサイアを歌うことが決まったあと、初めてメサイアを全て聴きました。正直な感想は、長くて、単調な曲だと思ってしまいました。しかし、内容を読み、楽譜を読み込んでみると、なんと整然緻密かつドラマチックな作品だろうと感銘を受けました。

聴きに来てくださる方の多くは、メサイアの物語を理解している方かと思いますが、仮にその内容を知らない方だとしても、何か喜びや悲しみ、希望や辛さといったものをひしひしと感じとって頂けるような演奏をできたらと思っています。

’14 9.27【第22回】ソプラノ団員

メサイアを歌うのは初めてのことですが、別のオラトリオは、これまで幾つも演奏する機会に恵まれて来ました。

「エリア」(メンデルスゾーン)、「七つの封印の書」(F.シュミット)、「火刑台上のジャンヌ・ダルク」(オネゲル)、厳密にはオラトリオでは無いけれど「マタイ受難曲」(バッハ)、それから、TEPCO一万人コンサートで歌った「ヤマトタケル~愛と平和への旅立ち」(三枝成彰)も“オラトリオ”と付いていました。

どれもこれも名曲なのは言うまでもありませんが、作曲された時代も国も、物語の背景となる宗教も、本当にバラエティに富んでいて、これはちょっと、人に自慢しても良いような“オラトリオ歴”かもしれません。

そんな私(たち)が、この度ついに名曲中の名曲、メサイアを演奏する機会に恵まれました。これまでの経験を思いおこして、作品のドラマをしっかり伝えられるようなに、こつこつ準備して臨みたいと思います。練習も足掛け一年を越えました。こんなに長い時間作品と向かい合えるのも、オラトリオならではの贅沢ですね。つくづく、幸せなことです。

’14 9.27【第21回】ソプラノ団員

カロスでメサイアをやると知って、他の団体の演奏を聞いてびっくり、曲の合間に休憩が入るなんて! それが私とメサイアの初めての出会いです。歌うのは純粋に楽しいです。が、無知で短気な私は、言葉や音楽の構造を一つ一つ見ていくことによって、やっとこさこの曲の本当の良さを知ろうとしています。

楽譜を頼りに、かつての音や人間に出会える喜び。そして、今の時を通して音を分かち合える喜び。その喜びを胸に今日も歌っています!

’14 9.27【第20回】アルト団員

かつて宇都宮室内合唱団ジンガメルは1993年に宇都宮市文化会館、2004、2005年は宇都宮市内のカトリック松が峰教会でクリスマスの時季に演奏していますが2005年は栗山先生が体調不良のためオルガンの大塚直哉先生が弾き振りをした公演だったので、もう一度栗山先生の演奏を聴きたい、できれば栗山先生の指揮でカロスに歌う機会が訪れないかと私は密かに願い続けました。願いはかない、ようやくカロスにメサイアがやってきました!

家の古い楽譜を探してみたら歌ったことのあるヘンデルの作品は「ハレルヤコーラス」と「もろびとこぞりて」だけでした。少ないとは予想していたものの、バッハやモーツアルト比べて2つとはちょっとびっくり。

一番古いカワイ出版【世界合唱名作選Ⅰ】(昭和50年7月1日第2刷発行 450円)のハレルヤは堀内敬三訳。「全能の神、統べたもうハレルヤ。この世なべて神のしろしめす国となりぬ。ときわかわりあらじ。主なるわが神。かわりあらじハレルヤ… 」格調高い歌詞がついていました。(もちろん訳ではなく英語で歌いましたけど)

オラトリオは演技、衣裳、舞台美術、小道具のない物語をもった劇場音楽。この物語に私はどんな役で臨もうか、考えながら練習を楽しんでいます。それにしてもメサイアは楽しい!

紀尾井ホールでメサイアを歌えるなんて何て幸せ!しかも素晴らしいソリストとオーケストラに共演して頂けるのだから…。ふつふつと喜びが増してきます。

シアターピースで培った表現力を発揮できるようみんなで頑張りたい。オラトリオは演技、衣裳、舞台美術、小道具のない物語をもった劇場音楽。この物語に私はどんな役回りで臨もうか、考えながら練習を楽しんでいます。それにしてもメサイアは楽しい!

’14 9.26【第19回】アルト団員

いつか歌いたいとは思っていましたが、これまで歌う機会はなく、この演奏会が人生初のメサイアです。栗山先生の指揮でメサイアを歌えるチャンスを逃したら後悔すると思い、半年前に参加を決めました。

いざ練習を始めると、驚くことばかりでした。ドイツ語だと思っていた歌詞は、古英語でした。有名なハレルヤ以外にも、素晴らしい曲がたくさんありました。そして、およそ270年前に作曲されたメサイアには、現代に通じるメッセージが込められていました。

日本も世界も様々な問題を抱えた不安な世の中だからこそ、メサイアを歌う意味があると信じて、舞台に立ちます。

’14 9.26【第18回】ソプラノ団員

私がメサイアで知っていたのは、ハレルヤコーラスだけでした。大学時代から本格的に合唱に触れる前は、ほとんどクラシックを聴くことがなく、大抵それの収集源は、音楽の授業か、テレビから流れてくるものでした。
カロスでメサイアを歌うことが決まったあと、初めてメサイアを全て聴きました。正直な感想は、長くて、単調な曲だと思ってしまいました。しかし、内容を読み、楽譜を読み込んでみると、なんと整然緻密かつドラマチックな作品だろうと感銘を受けました。
聴きに来てくださる方の多くは、メサイアの物語を理解している方かと思いますが、仮にその内容を知らない方だとしても、何か喜びや悲しみ、希望や辛さといったものをひしひしと感じとって頂けるような演奏をできたらと思っています。

’14 9.26【第17回】テノール団員

まだ、仙台にいた約30年前に、当時所属していたGWHで”For unto us…”を歌ったのが最初です。ただ、メインは同じHandelの”Dixit Dominus”で、アンコールピースとして歌っただけなので、詞の内容などしっかり勉強することもなく、また、その後全曲を歌う機会に出会うとも想像していなかった、と思います。

それから、合唱を続けてきたことで、今、”Messiah”に辿り着けたことを幸せに思っています。残りの時間を本番を楽しめるように精進して行きたいと思います。

’14 9.23【第16回】ベース団員

27年前に栗山文昭先生と出会い、この道に進んでから、本当にいろいろな偉大な作品に巡り会うことができた。バロック作品に限っても、バッハのマタイ受難曲・ヨハネ受難曲・ロ短調ミサ。あるいは、ゼレンカ、パッヘルベルといった、あまりお目にかからないような作曲家の作品も、いろいろ歌わせていただいた。

しかし、栗山先生自らも何度も指揮をし、先生が芸大勤務時代に毎年教え続けていた、バロック音楽の代表作である「メサイア」を、私はまだ歌ったことがなかった。「メサイア」を歌うことは、夢でもあった。

その夢が、叶う日が来た。

’14 9.23【第15回】テノール団員

「メサイア」1742年、アイルランドで初演。同年(1740年という説もある)、お隣イギリスで生まれたカクテル「グロッグ(ラムと水を等量ずつ混合したもの)」。

泥酔状態を表す「グロッキー」の語源である。
本演奏で思う存分に酔いしれて下さい。

’14 9.10【第14回】ベース団員

ミサ曲やオラトリオなど宗教曲に取り組む時は、キリスト教を信仰していない私でもそのドラマチックなテキストにはまさに胸を打たれる。

メサイアについては今までハレルヤしか歌っていなく、全曲は初挑戦である。

今の現実社会を見ると、世界のあちこちで民族、政治対立などで大規模殺戮の応酬や、軍事・経済力を背景に身勝手な外交戦略がまかり通ったりで、ますます混迷のキナ臭い世の中になってきている気がしてならない。
何だかヤバイ。

だから救世主の生涯の「お話」を歌うにあたっても、こんな時に「歴史から何も学ばない」 STRAY SHEEPな人類の前に本当に絶対的な存在の PRINCE OF PEACE が現れて平和的に打開してくれないものかと勝手に思ったりしている。

’14 9.6【第13回】テノール団員

中学生か高校生の頃、ハレルヤ・コーラスが単独の作品だと思っていた頃。メサイアが作曲家の名前だと思っていた頃。思春期の少年は「スタンディングオベーション」と言う言葉に興味を持ち、その起源を調べ始めました。

そこで、ジョージ二世のハレルヤ・コーラスの逸話を知ったのです。一国の王を突き動かす音楽なんて!と驚き、ハレルヤ・コーラスをきちんと聴いてみたのでした。

これが私とメサイアとの出会いです。すれ違った程度の。

今、楽譜と向き合い、音楽と向き合い、ようやく顔を合わせることができたような気がします。どうぞ、末長くよろしくお願いしますね。

’14 9.4【第12回】アルト団員

私にとって『メサイア』は、初めて聴いた3年前から、自分で歌うことを切望し続けていた憧れの曲です。

初めて聴いた時、なんとも言えない心地よさに包まれ、その世界に引き込まれ、演奏会後もその余韻がいつになく長く続いたのを今でもはっきり覚えています。

その時芽生えた「いつか自分も歌いたい」という気持ちが2回目に聴きに行った時には確信となり、そして3回目にチャンスが巡ってきました。

実際に練習を始めて、歌詞となっている聖書の言葉のもつ意味の深さ、それが素晴らしい音楽とみごとに融合した曲であることを知り、自分が何故あんなに引き込まれたのかがわかったような気がしています。

この曲をどれだけ理解し、それをどれだけ表現できるか…本番の日まで、まだまだ勉強が続きます。

’14 9.2【第11回】ベース団員

初めて聴いたのは、学生時代。

栗友会事務所で、深夜に印刷仕事しながら寝ないようにと、ふとおいてあったCDを手にとって聴いたジンガメルの「メサイア」。カロスの合宿の買い出し車で聴いた「メサイア」。そしてまさか、自分が歌うことになるとは全く思わなかった、あの「メサイア」。

カロスでメサイアを演奏する事になり改めて感じていることは、聴いた印象とは違って歌ってみるととても難しく、曲の多さも相まって道のりは長く険しい、ということ。

でも最近、やっとその楽しさが少しずつわかってきたかな?と思います。でも全てしっかりちゃんと歌いきるにはまだまだダメダメなんで、日々稽古あるのみです。

超が着く一流の方々とこの「メサイア」という超大作を演奏する機会を与えて頂いて心から感謝すると同時に、合唱が足を引っ張らないよう楽しく、頑張りたいと思います。

’14 8.30【第10回】ベース団員

集団的自衛権が閣議決定され、イージス艦を派遣したイラク制裁を思い、辿ればペンタゴンに突き刺さった人槍の切っ先に立ち世界を戦争に駆り立てた人物が頭を過ぎります。

このヒトはコーランに忠実だったそうで、それを書いたのはムハンマドという預言者でした。
私は現代日本的ほぼ無信仰なので、この世界標準語による預言者への讃歌を、至極客観的に歌う予定です。見えてくる何かがあるかもしれませんので。

’14 8.28【第9回】アルト団員

私とメサイア、出会いは高校生の時のハレルヤコーラス。宇都宮の女子高だったのですが、近くの男子高と合同で第九演奏会を授業の一環で催しており、合唱部、管弦楽部、授業出席者で構成されていました。演奏するのは、ハレルヤコーラスと、第九は第一楽章と第四楽章。

メサイアについては、教科書に載っているくらいのエピソードしか知らず、全曲を聴いたのは宇都宮のジンガメルの演奏で。初めて全曲聴く!とワクワクして演奏会に足を運びました。なので、なぜかメサイアというと宇都宮という地名が強く印象に残っています。

今度は自分が全曲歌う番!とワクワクしますが、歌えるようになったら外していこうと思ってつけた付箋がまだ一つも外せない…精進します。

’14 8.26【第8回】ベース団員

ヘンデルのメサイア、何度もラジオや演奏会等で聴いてはいましたが、今まで一度も歌ったことがありませんでした。ですが今年、コーロ・カロスがメサイアの演奏会を開くとのことで、一生に一度のチャンスと思い、コーロ・カロスに入団しました!!

合唱界の巨匠、栗山文昭先生の下でこの歌を歌えるということ、誇りに思います。また、栗山先生から「俺が振る最後のメサイアだ。」というお言葉を頂いておりまして、まさに貴重な演奏会であると思います。

大学生の身ではございますが、精一杯頑張ります!!

’14 8.23【第7回】アルト団員

私がメサイアに初めて直面したのは高校の卒業式です。私の出身高校では入学時に芸術の専攻を「音楽」「美術」「書道」から選択します。また、オーケストラ部が存在します。卒業式ではオーケストラ部と芸術専攻「音楽」の人たちでメサイアの中でもっとも有名な「ハレルヤ」を卒業生の入退場で演奏します。

私自身は大学入学を機に合唱団に入り、そこから12年以上合唱を続けていますが、高校時代はイラストや絵を描くのが好きで美術畑一辺倒だったこともあり、高校時代の「ハレルヤ」コーラスは体験しておらず、大学に入ってから「あのハレルヤコーラスはこんなにも長い物語の一部だったのか」と知って驚愕した覚えがあります。

メサイアを練習していると少し高校時代を思い出して、あの頃の自分から「どのくらい成長したのか」「変化したのか」「やりたいことをできているのか」等々の気持ちが湧きあがってきます。もちろん「この壮大な作品を歌い切りたい」という気持ちも強く感じます。

’14 8.21【第6回】テノール団員

感覚や感情だけではなかなか歌えなくて、「めっさ嫌やー」な時もありましたが、歌えば歌うほど、練習すればするほど楽しくて今や、「めっさイイやーん!」ってなってます(笑)

日々の練習の中で、表現ってなに?歌う喜びってなに?そんなことを考え、身をもって学びながら、本当に貴重な時間を過ごさせてもらっています。

こんなにも素晴らしい作品に、自分自身の「歌」や「表現」をきちんと対峙させて、歌う喜びに満ちた本番を迎えることができたならば、明日からまったく新しい音楽の世界が拓ける気がします!

’14 8.19【第5回】アルト団員

もしも通っていた小学校に合唱部がなくて、中学・高校時代に英語が大嫌いで、大学時代に栗山先生と出会わなかったら、今の私が「メサイア」を歌うことはないでしょう。奇跡にも近い偶然の積み重ねに感謝しています。

私にとって「メサイア」は、大切なものがたくさん詰まった宝石箱のような曲です。

’14 8.17【第4回】ソプラノ団員

一番はじめに出会ったのは大学生のときに聴いた、芸大メサイアです。そのあと2年連続であった宇都宮室内合唱団ジンガメルのメサイア。歌ったのはカロスでハレルヤのみをいろいろなところで歌いました。

カール・ホグセットさんと息子のラスムスさんがヘンデルの二重唱を歌っているのを聴いたとき、これはいつか歌ってみたいと思って急いでヘンデルの二重唱の楽譜を買いました。この二重唱の歌曲集のなかに、歌詞を変えてメサイアで歌われているものがあるのですね。

「And he shall purify」と「His yoke is easy」、全く知らなかったので分かったときは嬉しかったです。ちょっとソリスト気分で歌います♪

’14 8.16【第3回】ベース団員

舞台演出付きのメサイア、というちょっと変わったものがあるのをご存知でしょうか。

もちろん本来メサイアには具体的な登場人物も演出もありませんが、クラウス・グートという演出家の“読み替え”によって現代社会に生きるサラリーマンの苦悩を描いたドラマが作られています(指揮はあのスピノジ、合唱はあのシェーンベルク合唱団…!)。本来動いて歌うことのない曲が、演じることでこんなにも表現に違いが出るなんて… 大学で取り組んでいるシアターピースへの眼差しを一気に変える出逢いでした。

今回そんなメサイアを、演出もの百戦錬磨のカロスの先輩方と(贅沢にも?)動かずに演じられること、とても楽しみにしています。

’14 8.14 【第2回】 ソプラノ団員

私とメサイア ー縁ー

高校の時「ハレルヤ」だけを歌い、メサイアを知った私は合唱を続けていればいつか全曲を歌えるものと思っていました。ところが、大学、一般の合唱団でも歌う機会は訪れず、いつの間にかメサイアほ聴く曲になっていました。

もう、メサイアを歌うのはあきらめていたのに、今回歌うチャンスに恵まれ本当に幸せです。せっかくできたメサイアとの縁を大事にして練習に励もうと思います。そして古巣のカロスで歌えること、これも縁です。嬉しいことです。

’14 8.12 【第1回】 アルト団員

栗山先生が芸大で講師をなさっていたころ、芸大定期のメサイアを聞きに行きました。宇都宮の教会でジンガメルのみなさんが演奏したのも聞きに行きました。知っている曲はハレルヤのみ。とっても美しいと思ったけれど、よくわからなくて途中で寝てしまう…それが私とメサイア…(ひどい)
ついに歌えることになりました!!しっかり勉強するぞ!!